2021.06.07
社会人チャレンジ
中央大学(法)卒 社会人経験あり25歳 C君
私立文系学部出身のC君は、東京での社会人経験後、
愛媛の実家の跡継ぎになるべく医学部受験を志しました。
1年目は東京で頑張りましたが結果が出ず1次合格なしの失敗でした。
2年目は大阪で再度チャレンジと考え私達と出会いました。
初めは文系出身ということで数Ⅲを復習していないのが悩みの種でした。
東京での1年目は基礎理解が不十分で計算が精一杯、立式はほとんどできない状況でした。
私達の分析の結果は、数Ⅲのみならず数Ⅰからの高校数学そのものが弱いことが判明、
時間が掛かるので間に合うか心配でした。数学の特訓が週3回9時間が始まりました。
当初は、出口の見えないトンネルの如く進行せず停滞の繰り返しで光明が
見えませんでした。ただC君の素晴らしい点は素直で諦めず本当にコツコツと
少しずつですが前進できるここで、9月中旬頃にやっと数Ⅲの基礎が完成しました。
やる気も能力もあるC君ですが、さすがに私立専願が賢明との判断で希望大学を
絞り込み、過去問中心の演習指導に専念しました。同時に物理・化学も過去問演習に
入りました。C君の場合は、もともと英語が好きで得意でしたのでこの点は大きな
メリットでした。
年末の頃には過去問採点で合格最低点に近い得点力を持つようになりましたが、
まだまだ不安定で一喜一憂していました。
そして本番突入、関西4私大に東海・福岡・帝京を経験しました。
東海以外すべて不合格でしたが、唯一東海大学のみ合格できました。
たった1校ですが彼の人生を大きく変える合格です。
チャレンジ2年で結果が出ました。特筆すべきことは、C君は25歳で
大人の思考ができ、とても真面目でコツコツと継続できる才能の持ち主であったこと。
素直で指導側の意見をすべて取り入れて最短距離を走ったことです。
行くべきして行ったのです。
入学後、夏休みに帰省する時に私達の所に寄って「ちょっと一杯行こか」と言ってましたが
コロナ禍で会えません。残念です。
2021.06.07
京都大学医学部合格ですが・・・
私立最難関高校卒1浪生
高校3年時に大手記述模試、平均偏差値76(数学84、理科78、英語73、国語70)京大(医)A判定のB君は、当たり前のごとく、京大(医)のみ1次合格しました。B君は所詮、天才肌でおおらかで明るく、思ったことをすぐに口に出す生徒でした。
数学・物理・化学は大好きで自信あります。英語はそれなりにしているので安心。国語は現代文は大丈夫だが古文は少し心配。とのことで家庭教師指導を受けていました。
しかし結果は不合格でした。B君は「なんで・・・? 」「どうして落ちたのか分からない」とショックより不思議という思いが強く、学内順位が自分より下位の同級生が合格したので余計にそう思ったのでしょう。学校の先生の分析でも納得できないとの事でした。
私達はその結果を受けてもしやと思い、B君に面接で何を聞かれたかを問うと、「アッ! 」と声を上げ黙りこみました。
そして、面接の先生に「今年のうちの数学はどうだった? 」と聞かれ自信満々で「簡単でした。5問半出来ました」と即答したそうです。
成績上問題ないなら面接の結果で不合格になったのでしょう。
面接の結果、「不合格とるす」と公表されていますので、それが現実になったのでしょう。実は伏線がありまして、B君が面接待機中に、同級生に「京都の数学は簡単や!!」と豪語していたのを聞かれていたのかもしれません。生意気ととらえられたのかもしれません。
以前に聞いた京大の某先生の「 N高校とT高校の生徒はいらん!! 」
「地方の公立出身者が良い」という言葉を思い出しました。本人的には全く悪気はなく本当に出来たと思ったので正直にそう言っただけですが、医師として不合格と判断されたのかもしれません。厳しい結果です。しかし、現実にあった事です。
ちなみにB君は1浪後、圧迫面接もなく無事に合格しましたが、医学部の同級生から「空気の読めない天才君」と呼ばれていたそうです。
2021.06.07
近大医学部合格 7浪
A君は中学受験失敗後、少し道を外れ、紆余曲折を経て通信制高校を卒業しました。医師になりたいと思う自信のなさから、「自分なんかどうせ無理」と行動に移せませんでした。私達が関わったのは5浪でした。それまでは一応、医学部志望で複数の医師系予備校で流されるがままに時間を浪費していました。私達との対面談時には、少し反抗的で言葉少なく煙草を所持していました。聞けば、飲酒、パチンコ通いと一般社会人の様な生活を送り受験生ではありませんでした。流石にこのままでは・・・と私達の下に・・・
初めはひどく約束不履行、勉強せず、予定の模試も受けずと困惑の限りでした。学力面はもっと大変で数学は因数分解以前のレベル。物理、化学は壊滅状態で基礎テストで100点中1桁でした。英語も言うに及ばず燦々たるものでした。医学部受験以前の大学受験そのものをどうするかというレベルでした。しかし、担当講師は熱心にあきらめずに少しずつ寄り添い指導しました。反抗期゛てすが、気が弱くデリケートな人柄なので焦らず、ほんの少しずつでも前進出来るように頑張りました。
医学部受験はまだ遥か先の先でゴールが全く見えない状態でした。予想通り5浪目の結果は全て不合格。しかし、6浪目は少しやる気が出て模試も受け、錆びた機械に注油するが如く動きだしました。
本来の真面目さも復活し1日12時間毎日頑張り、弱音を吐きながらも継続し、出来ない問題があると真っ赤な顔で出来ない事に立腹していました。ようやく本気になりました。
しかし6浪目は私立1校のみ1次合格。結果全て不合格に・・・
本人は落ち込んで自暴時棄になり「受験は辞める」と言いだしました。
が、私達は違う事を考えていました。私立1校でも1次合格出来たことが凄いと・・・
奇跡に近いと・・・・
5浪時には模試を受けていませんので偏差値は不明ですが、推定25~30位の偏差値が2年間で私立医学部に1次合格まで上がったことに可能性を感じました。A君もふてくされていましたが、諦めきれないとラストチャンスすることになりました。1次合格を頼りに必死で勉強し、7浪目についに近大医学部に補欠合格することが出来ました。8校受験して唯一の合格、それも補欠合格ですが、とにかく「合格」しました。実質的には3年間のチャレンジでしたが、諦めないで頑張り続けた結果です。偏差値30以下からのスタートでついに願ってもない事が起こりました。
A君のような低学力受験生でも「やれば出来る」ことを証明してくれました。この記念すべき合格は私達に「誇り」と「自信」を与えてくれ、頑張ったA君と寄り添い続けた講師陣に感謝です。万歳です。
A君、最高の歓びで入学したもののコロナ禍でオンライン授業に・・・
時間があったのか、再び勉強せずに課外授業に勤しんだ結果、10近く単位を落とし留年の危機に・・・
1年目から波乱の大学生活を楽しんでいるそうです・